俯瞰を終える、さよならニルヴァーナ
1日の集中作業日を経て、ようやく俯瞰作業が終わった。全貌がわかった。全体をとおして、まだこの物語に書かれるべき理由を見つけきれていないが、やや冗長かと思われた後半こそに少し熱があり、その熱を活かして、再編成できるなら、まだ語られる価値があると思うのだ。
仕事にはならずとも、またときに息苦しくなるほどの苦しみを感じながらも、書くことを喜びとして感じ、創造することことがこの世界との積極的なつながりと感じていた人間にとって、書くことをやめ、充実してこの時間を過ごすことが出来るのだろうか。引退についてリアルに考えれば考えるほど、モヤモヤが強くなる。
佐藤優氏のおすすめで、窪美澄氏の「さよなら、ニルヴァーナ」を読んだ。その前に実は少年Aの本も読んでいるのだが、佐藤氏は窪氏の小説を単に興味本位ではなく、被害者、加害者のそれぞれの立場、そして加害者を崇拝する者の立場の感情を昇華した、と絶賛していた。個人的には以下の作家としての覚悟を書きたかったのだろうと思う。これを書くのに、現実の被害者が居る事件をモデルにした姿勢にはやはり疑問が残る。この作家的な業と使命には理解しつつも、だ。
住宅街を抜け、駅に近づくにつれ、雨は豪雨といってもいいほど、激しくなっていた。雨宿りをする場所もなく、私の体はシャワーを浴びたように濡れる。地獄を生きたのは、あの人だ。そして、莢をなくした母親も、同じ思いをしているはずだ。物書きの自分が見た地獄など、地獄の入口ですらない。体に張りついたワンピースの裾をしぼりながら思った。ならば、もっと地獄に行こう。もっと深くて、もっと暗い、地獄に下りていこう。人の、世の中の、中身を見て、私は自分の生を全うするのだ。それが、私に課せられた運命ならば、仕方がない。
全身から水滴をしたたらせた私を、地下鉄のプラットフォームにいる人たちが怪訝そうな顔で見ている。まるで、これから飛び込み自殺でもする女だと思われているのかもしれない。自殺などするわけないじゃないか。私はこれから、迷って、悩み、苦しみ、悶えて、書いて、書いて、書いて、そして死ぬのだ。(さよなら、ニルヴァーナより)
ただひとついえるのは、自分にはたとえ人を傷つけたとしてもまっとうしなければならないような覚悟もないということだ。
もう少し考える。
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